復活の主日-復活徹夜祭

今日、5名が受洗しました

ご復活の卵

若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。」(マルコ16・6)

ご復活、おめでとうございます!

 

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聖金曜日:主の受難の祭儀

3月30日(金)午後7時から、「主の受難の祭儀」。
受難の朗読、盛式共同祈願、十字架の礼拝(写真)、そして前日の「主の晩さんの夕べのミサ」で聖別されたご聖体をいただき、キリストとの一致のうちに、復活への希望を新たにしました。

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聖木曜日:主の晩さんの夕べのミサ

「過越の聖なる3日間」が始まりました。
3月29日は聖木曜日「主の晩さんの夕べのミサ」。
キリストが聖体を制定し、自らを記念するために同じように行うよう弟子たちに命じた最後の晩さんを記念しました。
このミサの中で、イエスが弟子たちの足を洗って愛と奉仕の模範を示したことを思い起こす「洗足式」も行いました。

★このあとの、「主の過越の聖なる三日間」の典礼のお知らせです。
3月30日(聖金曜日) 19:00 ~ 主の御受難の祭儀
3月31日(聖土曜日) 19:00 ~ 主の御復活の聖なる徹夜祭
※ 3月29日、30日、31日の3日間は、朝のミサはありません。
※ 3月31日(聖土曜日)の復活徹夜祭は午後7時からです。
午後5時の夕方のミサはありませんので、ご注意ください。
4月1日(日)復活祭 7:00~早朝ミサ、9:00~日中ミサ
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西町教会黙想会(報告)

【黙想会(大人)】

今年の大人の黙想会は、2月14日(灰の水曜日)から18日(四旬節第1主日)まで行われました。黙想指導司祭は、西経一神父様(神言修道会)でした。

期間中はミサと赦しの秘跡に与り、講話では、「愛とは、身を裂いてお互いを捧げること」などについて、時折(かなり?)笑い話も交えながら、イエス様の説く愛の本質、秘蹟の意味などについて鋭く、また、わかりやすく説明していただき、笑い声が絶えない中にも、学びと黙想を深めました。

  • 小麦が刈り取られ、すり潰され、粉にされ、こねられ、型にはめられ、焼かれて、パンになる。だから、私たちの苦痛と苦労に満ちた生活を、パンの形にして、祭壇に捧げる。するとイエス様が、私たちが捧げたパンを「これは私の体である」とおっしゃってくださる。これが聖体の秘跡。
  • 愛は、裂く。身を裂いて、お互いを捧げる。愛の痛みの象徴が、十字架である。
  • 「施しをする人」と、「施しを受けることを施す人」がいて、席譲りは成立する。そこに上下前後左右はない。「受け取る」という施しもある。
  • 神の全知とは、私の苦労を知っている全知。また、神は全能。「こんな私」も天国に導く。

【中高生黙想会】

2月25日(日) 雨

今年の中高生黙想会は、「カトリックの復活からコルベ神父の来日まで」をテーマに長崎市南部の教会を巡りました。

最初は稲佐教会、昼食後は大山教会、小ヶ倉教会、善長谷教会、深堀教会、香焼教会、本河内教会を訪ねました。

江戸後期、外海地方の潜伏キリシタンの一部は比較的宗教政策の緩やかだった鍋島深堀領に移住し、信仰を守り継ぎました。大山、善長谷、深堀、香焼の教会は、彼らの子孫が信徒発見を経てカトリックに復活するなかで形成された教会です。このような歴史を持つ長崎市南部では、戦後、三菱の発展から更に信徒数を増やし、稲佐、小ヶ倉などが小教区として独立しました。

信仰の自由が許されると多くの外国人宣教師が再び長崎を訪れるようになり、西欧の進んだ文化や技術をもたらしました。また、自らの献身でカトリックの信仰を深めてくださいました。その一人であるコルベ神父様の資料館とゆかりの本河内教会が今回の巡礼の終点でした。

終日あいにくの雨もようでしたが、マイクロバスを運転してくださったTさんのおかげで無事に回ることができました。大山や深堀では主任神父様が教会の歴史を語ってくださり、充実した巡礼となりました。まだまだ話し足りないご様子だったので、いずれまたゆっくり訪ねる機会があればと思います。晴れた日の美しい景色やステンドグラスも是非拝見したいものです。

ご協力くださった皆さま、ありがとうございました。(S)

※なお、【小学生の黙想会】も、3月4日(日)に開催されました。

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「今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」

12月24日の夜、全世界のカトリック教会は、「主の降誕(夜半のミサ)」で、私たちのために神の子が人となられたこと、救い主が生まれたことを、共に喜び祝います。
ここ西町教会でも、19時からのミサで盛大に祝いました。

幼子イエスは今も、飼い葉桶の中から私たちに語りかけています。
「私が一緒にいるよ。
いじめや暴力を受けている人、『生きているのが辛い、自分はもうだめだ』と思っている人でも、私が一緒にいるよ。
どんなに闇が深くて、どんなに苦しみが大きくても、『私(神)はあなたと一緒にいる』というしるしとして、この世へ来たのだから。
私があなたと一緒に歩き続けるよ。
だからあきらめないで、死なないで。
だから一緒に生きよう、私が一緒にいるのだから。」
(主任司祭説教より)

主のご降誕、おめでとうございます!

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カトリック西町教会:降誕祭・年末年始ミサ時間のお知らせ

西町教会の降誕祭・年末年始ミサ時間は次のとおりです。

2017年
12月23日(土) 午後5時、12月24日(日) 午前7時、午前9時…待降節第4主日
12月24日(日) 午後7時 ― 聖夜ミサ(夜半のミサ)
12月25日(月) 午前7時、午前9時 - 主の降誕
12月30日(土) 午後5時、12月31日(日) 午前7時、午前9時…聖家族
12月31日(日) 午後11時 ― 神の母聖マリア(年越し感謝ミサ)

2018年
1月1日(月) 午前10時30分 ― 神の母聖マリア(新成人祝福ミサ)
★元旦は、午前7時、午前9時のミサはありません。
★元旦午前10時30分のミサの中で新成人の皆さんの祝福を行います。新成人を迎える皆さんはぜひご参加ください。

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『待降節』(2017.12.1 教会ニュース12月号記事より)

待 降 節

主任司祭 ポウォムスキ・スタニスワヴ

今年も残すところおよそ1か月となりました。教会の暦は待降節に入り、一足先に新しい一年が始まりました。

わたしたちは、クリスマス前の約四週間を『待降節』と呼んで、キリストの誕生を待ち望む期間としています。

『待降節』は、ラテン語で「アドベントゥス」と呼ばれます。『待降節』を意味する英語や、ドイツ語、フランス語などの単語は、いずれもこのラテン語に由来しています。ラテン語の「アドベントゥス」は本来、「到来」や「到着」を意味しています。
ですから、日本語の『待降節』では「待つ」ことが強調されているのに対して、先ほど述べたような言語では、むしろ「来る」ことが強調されているようです。

このように「待つ」と「来る」という強調点の違いはありますが、よく考えてみると、キリストが必ず来るという確信を持って待つこと、つまり「待つ」と「来る」の両方とも大切であるということがわかります。そしてこの確信は、わたしたちに対する神の深い愛のうえに成り立っているということができます。「わたしたちが(神を)愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。」(一ヨハネ4・19)と言われているように、わたしたちがキリストを待つことができるのは、神が、まずキリストを遣わしてくださったからだと言えるのではないでしょうか。待降節の間「主よ来てください」という祈りが繰り返し捧げられますが、キリストは、わたしたちがこのように祈るより先に、すでにこちらに向かってきてくださるのです。だからこそ、いつもキリストを迎えることができるように、準備をしていることが求められるのでしょう。

「待つ」と「来る」という別の意味をもっている言葉も、このようにキリストの訪れを中心に考えていくとき、いっそう深いところに結びつきます。ひとり子キリストを遣わしてくださった神の愛、そして、キリストご自身がわたしたちの方に向かってきてくださることを思いつつ、キリストの降誕までの4週間を過ごしていきたいと思います。

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