四旬節、慈善を実践すること

発行できなかった西町教会ニュース2020年3月号に掲載予定だった記事をこちらへ掲載します。西町教会助任司祭ディエム神父様による、四旬節の心構えについての記事です。

新型コロナウイルスの影響でミサに参加できなかったり教会の諸行事が中止になったりしている中ですが、皆さん四旬節をいかがお過ごしでしょうか。残りわずかとなった今年の四旬節ですが、「心を尽くして祈り、愛のわざを通して、神、隣人、そして自分自身との関係をより確かなものとすることができますように。」


【四旬節、慈善を実践すること】

毎年灰の水曜日で、教会は四旬節の歩みを開始します。今年の四旬節はもうすでに始まりました。四旬節といえば、祈り、断食、慈善を実践することに招く特別な時期です。

今年も完全な四旬節の精神を生かすために、マタイ福音書の6章を読んで黙想するべきだと思います。

 見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。
 だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。(マタイ6・1-2)

現実と経験から、一般の人々、特に私たち一人一人は、善行を行うとき、人々が賞賛するために、人に見せる傾向があることがわかります。

上の福音の言葉は、私たちにそれらのことを慎重に行うように呼びかけます。

確かに、イエスさまは道徳と慈善の形の価値を否定していません。しかし、教えの中で、人々と特に弟子たちを招いて、断食、慈善、特に祈りを増やそうとしました。しかも、派手な態度を避けるように彼らに警告しました。

 施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。
 祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。(マタイ6・3-5)

したがって、四旬節は慈善を実践することを増やすだけでなく、真の自己反省にも私たちを招いています。

私たちが慈善を実行するとき、私たちはもはや人々の賛辞を「気にする」必要はありません。私たちはそれが何であるかを知っています。それは神の喜びで慎重に行います。

すでに始まった今年の四旬節の恵みを感謝しながら、私たちはこの40日の間で心を尽くして祈り、愛のわざを通して、神、隣人、そして自分自身との関係をより確かなものとすることができますように。そして、主イエスの死と復活によってもたらされる救いの恵みを完全に受け取ることができますよう心を合わせて有意義な四旬節をともに歩みましょう。(2020.3.1 トラン・デュック・ディエム)

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