西町教会 2015年2月28日祝福式
キリスト像のデザイン:E.ジエブーラ(SVD)
1.「隠されているみ御顔」
西町教会大聖堂の聖櫃の上、栄光(黄金)の十字架を背景にして設置したキリスト像の特徴の一つは、キリストの御顔のところには開いた空間があるということである。それは、次のような聖書の箇所に由来する。
- キリストを預言したイザヤは、「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病みを知っている。彼はわたしたちに顔を隠し、わたしたちは彼を軽蔑し無視していた。」(イザヤ53,3)と言う。したがって、この御像は、罪のないキリストが罪人の私たちのために御受難を受け、侮辱されて面目を失ったということを語り、私たちを回心へと招くのである。
- エマオの弟子たちも、道で出会ったイエス様の御顔を見ても識別することができなかったが、エマオで、「イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かった。」(ルカ24, 31)と記されている。したがって、この御像は、御ミサの時に「パンを裂く」中 (御聖体拝領)でキリストの現存を見出すように招くのである。
- キリストは、「わたしの兄弟である最も小さな者の一人ひとりにしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイ25,40)と言われた。「隠されている御顔」を通して、私たちが「小さな人々(必要な人)」の内にキリストを見出すように招くのである。
- 「心よ、主はお前に言われる。『わたしの顔を尋ね求めよ』と。主よ、私は御顔を尋ね求めます。」(詩編27,8)と詩編にある神の言葉どおり、人間は神の御顔を両目で見ることができないが、その心が主の御顔を慕い求めて心の目で見ることができる。したがって、「隠されている御顔」のキリスト像は、私たちが、自分のイメージのキリストに執着することなく、信仰生活の中で常に真の神の子キリストを捜し求めるように招くのである。
2.「キリストの傷痕」
御受難のキリストが数知れない程に多くの傷を受けられたが、教会の伝統の中で、十字架上で御体を刺し貫かれた気高い五つ傷は特別の崇敬の対象となっている。したがって、西町教会のキリスト像のもう一つの特徴は、キリストの五つの傷痕を表現している両手、脇腹と足にダイヤモンドの形になっている釘と槍が開いた痕である。この傷痕は御復活なさったキリストを識別する一番重要な要因であることを、次のような聖書箇所の中で示されている。
- 御復活の日に十二使徒に現れたキリストが、御自分の御顔を見せようとすることなく、「手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。」(ヨハネ20,20)と福音に記されているので、キリストのアイデンティティは、両手、両足と脇腹の傷痕にあると言う。したがって、この御像は、神様がキリストの内に最後まで私たちを愛し抜かれたこと、そして死に至るまで御父に従順であったことを示して御復活したキリストをも示してその現存に気付くように導くのである。
- 「イエスがトマスに言われた。『あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。』トマスは答えて、『わたしの主、わたしの神よ』と言った。」(ヨハネ20,27-28)というキリストの御復活の出来事を使徒ヨハネは福音の中で紹介している。したがって、この御像は、私たちが十字架上で示されたキリストの最大の愛に触れるように呼びかけ、キリストの神性と御復活を信じる信仰に導き、キリストに向けて、「わたしの主、わたしの神よ」という信仰告白と賛美の祈りに招くものである。
- この御像の傷痕で、キリストの頭に冠っている輪は、御受難を受けたキリストの茨の冠を表現すると同時に、御復活の栄光を現す。
3.「キリストの姿(コルプス)」
一つの生地から幾つかの輪を切り落とした余りのようなキリストの姿(コルプス)もこの御像のもう一つの特徴となっている。この表現は、御復活祭のアレルヤ唱に用いる聖書の言葉である。
「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは主がなさった業で、わたしたちの目には不思議に見える。」(マタイ21,42)
- 聖書が言われる「捨てた石」とは、十字架につけられたイエス・キリストのことである。その中で働く主のなさった不思議な業とは、十字架につけられたキリストが世の救い主となったこと、神の国を土台とする「隅の親石」となったことである。即ち、キリストは十字架上で罪を滅ぼして愛の勝利を収め、死に打ち勝って御復活の勝利を収めたのである。
同じ意味で御像が現すキリストの姿は、キリストが現在も度々、「欄外」のモノとされ、人間の生活の「輪」から切り捨てられたことを現す。(罪人の自己中心的な生き方は、御像の外側が描いている空白の輪で表現されている。)神様の不思議な救いの御業とは、キリストの姿が幾つかの「輪」の接ぎ目になっているということによって表現されている。このキリストの姿は、多くの輪を一つに結ぶように、私たちの全人類も十字架につけられたキリストの内に一つに結ばれて、キリストの愛と御復活の命に繋がるように招かれているのである。
―古代から円(輪)は、神、永遠(初めも終りもないこと)、全能、完全、完成、内面的な一致、愛、霊的な要素を表現し、また、母なる地球、光をもたらす太陽、宇宙万物の調和と転換のシンボルでもある。故に、この御像はキリストが神であることを示し、すべての存在と命を救って完成に導き、平和をもたらす表現である。
このキリストの姿を見つめて黙想し、たくさんの霊的な恵みで満たされますよう、お祈り致します。
(主任司祭ジエブーラ・エウゲニウス)
「西町教会ニュース」2015年3月号に掲載
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